明日香村でおむすびや
私は明日香村で【おむすびやさん】をしています。提供しているのは、「めっちゃおいしいから、ぜひ食べて!」と思うものだけで作るおむすびです。
米・塩・海苔は厳選したものだけを使用し、そのほかの具材もできるだけ生産者の顔がわかるもの、できるだけ飛鳥のもの、できるだけ奈良のもの、できるだけ近隣府県のものという順番で選んでいます。
おむすびやを始めるきっかけになったのは、育休中に受けた「最強のおにぎりワークショップ」でした。我ながら、「おにぎり習うの? おにぎり教えてもらうの? 私まぁまぁ上手やけど?」と思いつつ、そのタイトルに惹かれて受けに行くと、目からウロコが落ちる落ちる!
右手に持った私のおにぎりと、左手に持った先生のおにぎり。その違いに衝撃を受けました! 同じお米で、同じお塩で、どちらもにぎりたてで、こんなにも違うのかと。それ以降は、お米の計量、浸水、炊き方、結び方など、教えてもらったことを意識しながら日常で実験的に繰り返し、おいしいおむすびを追求してきました。
そんな中で、お店をする機会に恵まれた時、私が自信を持ってお客様に食べてもらえるものは、おむすび一択だったのです。
子ども食堂であしもみ処
私のお店では、子どもたちは無料でおむすびを食べることができます。でも、私がただでおむすびを提供しているのではありません。地域の大人、賛同してくれる大人がお金を先払いしてくれています。その善意に頼っています。
地域の大人がリボンを買うと、購入されたリボンが店内に掲示されて、そのリボンで子どもたちは食事ができる。そんな「フードリボン」というしくみを取り入れています。
橿原市にある「元気カレー」さんから始まったこのシステムとその意思は「フードリボンプロジェクト」となって全国の飲食店に広がり、実施店は今や200か所を超えています。
私がつくりたかったのは【いつもあいてるこども食堂】です。貧しい家の子どものためにしているわけではありません。すべての子どもは すべての大人に育ててもらえればよいと思っています。
私はその【場】をつくっています。【安心安全おいしい場】です。子どもに優しい場所はきっと大人にも、どんな人にも優しい場所になる。そう思っておむすびやをしています。おいしいおむすび食べていたら、「気がつけば子育ての応援をしてた」お店なのです。
また、おむすびやのほかに、「あしもみ」の仕事もしています。教員の育休中に自分を家族の健康に役立てたいと思って「あしもみ」を学び始めると、その体感の変化の早さ、手軽さに感激し、ハマりました。
育休明けに教職には復帰したのですが、子育てと仕事とのバランスが取れないと感じ、退職を決めました。その選択ができたのは、共に学んだあしもみ仲間たちが「おうちサロン」を開業している姿を見ていたからです。自分が本当に良いと思うものを人に勧めて、人の健康に貢献する仕事が私にもできると思えたことは、とても大きな変化でした。
大人も子どもも憩える場づくりを
そんな、おむすびやとあしもみ処の活動の先に、地域のコミュニティが生まれる未来を見ています。ゆくゆくはもう少し広い場所で、地域の方たちの憩いの場にできればと思っています。
モーニングを食べながら新聞を読んでしゃべる。ランチバイキングで安心・安全なものを大人も子どもも好きなだけ食べる。子育てママたちが子どもを遊ばせながら情報交換できる。得意を共有できる趣味の販売・ワークショップを楽しめる。手作りのこだわりお惣菜セットを夕ごはん用に買って帰れる。そんな場所にしていきたいです。
そして、いずれ大きく育ったコミュニティで、あしもみやあしもみ講習会をしたいと思っています。ちょっとした学びと知識が、旅先や災害時に自分と家族を守る力になることを伝えたいのです。
そのコミュニティは、学校に行かない子どもたちの居場所にもなります。2024年の文科省の調査によれば、不登校の子どもは全国におよそ35万人もいるそうです。その子たちが昼間、気軽に過ごせて、たくさんの大人たちと交流し、様々な価値観に触れることができる場をつくりたい。そう考えて、「不登校は子どもの問題ではなく大人の課題」という視点から対話を生むためのムーブメント「トーキョーコーヒー※」に賛同し、旗を掲げています。
※トーコーキョヒのアナグラムでできた【トーキョーコーヒー】は全国に400拠点以上あり、それぞれがぞれぞれの場所で活動をされています。
教員時代からずっと、子どもが地域の学校に合わない時の選択肢が数なすぎると思っていました。学校はたくさんの人がいるところ、合わない人がいて当然です。その人たちとどう付き合っていくか、考え実戦することは大切な学びだけど、どうしても無理なときはそこから去ることも可能だと伝えたい。子どもたちの居場所、学びの選択肢を複数準備できる社会にしていくために、その変化の一部になりたいのです。
世界と共に平和を目指す
高校時代、将来は国際NGOや国連などで働きたいと考え、大学で国際法やこどもの権利条約などを学びました。ネパールの難民キャンプへのスタディツアーに参加し、インドのマザーテレサハウスを通じて死を待つ人々の家を訪問したり、内戦後のシエラレオネに滞在したり、シベリア鉄道でロシアを横断したりと、多くの国を訪ねて、たくさんの人と出会ってきました。
シベリア鉄道で、とっても仲良くなったおじいちゃん。「Hello」も「one two three」も通じないまま3日間一緒になりましたが、それでもめちゃくちゃ楽しかった! ロシア語会話帳を使ってなんとか会話し、おやつの交換、飴の包み紙で折り紙のプレゼントし合いっこなどなど、電車時間を楽しみました。
モスクワに着いた時には「ついてこい」のジャスチャー。「え?なんで?」となりながらおそるおそるついて行くと、到着したのはなんと、私がその日に泊まる予定のホテルでした。旅行の予定を見せていたので、わざわざホテルまで送ってくれたのです。言葉は通じなくても会話はできることを、モスクワのおじいちゃんから教わりました。
西アフリカにあるシエラレオネは、内戦の終結宣言が出された2002年当時、子どもの人権が最も守られていなかった国で、こども兵士(麻薬を摂取させて判断能力をなくさせ、コントロールし、ノルマを達成したらごはんを与える)、レイプ、四肢切断(人口を減らすのではなく、障がい者を増やして国力を落とさせる)など、最悪な話が盛り沢山でした。
なぜそんなことになったのかを知りたい、そして内戦が終わり、どのようにして国連と国際NGOが国を再生していくのかをこの目で見たいと思い訪問を決めたのですが、そこで出会ったのは【私たちと同じように日常生活を送る人々】でした。そこには家があり、家族がいて、学校があって、泣いて笑って、歌って遊んで、お洒落する人々が暮らしていました。
もう数日したら日本に帰国するというある日、現地で友達になった子どもたちと夜の散歩をしました。それぞれの家の前で揺れるローソクの灯、キラキラと舞う蛍のような虫、電気のない街の上空に煌めく星たちを眺めながら歩いたあの時間は、今も私の記憶に深く刻まれています。
世界どこに行っても 私たちと同じ【人】が住んでいます。日本でも、シエラレオネでも、にぎやかな子もおとなしい子も、虫に詳しい子も本が大好きな子も、絵が得意な子も数学が得意な子も、喋るのが得意な子もいます。きっとそれはどこの国でも同じ。
「幸せ」と聞いて思い描く景色も人それぞれ。それぞれの幸せを、世界中の人と共有できる幸せを、子どもたちに感じてもらえたらと思っています。
そして、世界のたくさんの国に友達をつくり、おいしいものを食べてにっこり笑いあう。その瞬間が増えるほど、世界は平和になっていくと信じています。
日本の片田舎と言えば片田舎。古代文化の香り豊かな歴史好きにはたまらない村。そんな場所から、世界平和を謳っています。そんな場所に、まずひとりひとりの心の平和をと思っておむすびやをしています。
鼻で笑われても大丈夫。
「月に行くなんて本気でできると思ってんの?」と鼻で笑われた時代もあったしね。
大丈夫。今日も世界は愛であふれている。
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